元いじめられっ子が語る、いじめられた心の傷は一生消えない

雑記
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いじめは一生残る心の傷を作ります

私自身、小学校6年生〜中学1年生までの間、いじめを受けていました。

その体験から、いじめられた理由、いじめがなくなった理由、いじめによる影響、これらを考えてみたいと思います。

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2度のいじめを経験

小学校6年生から中学1年生の期間でいじめを受けていました。小学6年生と中学1年生と連続した期間でのいじめだったのですが、いじめるメンバー、いじめの質が違うので、2度のいじめといって良いと思っています。

最初のいじめ

最初のいじめは小学校6年生の時になります。いじめの内容は「金銭の要求」から「暴力」と言ったものでした。

最初は友達との絆を深めたいために

遡ると小学校4年生の頃になります。

ウチの親が小銭を瓶に入れて貯めていたんですが、それをチョット取って駄菓子屋でお菓子を買ったり、ゲームをしたりする様な子供だったんです。子供の頃ってお小遣いも少ないですし、毎日自由に買ったり遊んだりって中々出来ないですよね。両親が共働きだったせいもあって、夕方は家に親が不在と言うこともあり魔がさしたんでしょう。親が貯めた小銭の瓶から少しずつお金をくすねていたんですね。今でも悪いことをしていたと悔いています。しかし、この頃は少額だったのと頻度も少なく稀にくすねるくらいでした。

小学6年生の2学期が始まった頃だったでしょうか、同級生(この頃は友人だと思っていた)に「いいなぁ、俺もそのゲームやりたいなぁ」と言われた時に、もっと仲良くなれると思い「いいよ!奢ってやるよ!」と言ってお金を渡したんですね。これが始まりでした。

エスカレートする要求

その同級生は「今日も奢って」と毎日言う様になりました。その内、それを見ていた別の同級生が「俺にも奢ってよ」と言う様になってきたんです。もともと気の弱い自分は断れずにお金を渡していました。

集団になり彼らは段々エスカレートしていきます。最初の内は「奢ってよ」だったのが「奢れよ」になり「出せ」になっていったんです。毎日の様に家に来ては中に押し入って、家捜しをしては親のお金を持っていくようになっていました。多いときは一回に数万円持って行ってました。何度か家に入るのを断ったりしていましたが、玄関前で集団で暴力を振るわれたり、学校内でも毎日様に暴力を振るわれ、よく泣いていました。

助けてくれない担任

学校で毎日暴力を振るわれていたものの、仕返しが怖く先生に言う事ができないでいました。それでも朝の学活が始まる直前まで暴力を振るわれたり、ひどい時は昼休みに先生がいる教室でも暴力を振るわれたり・・・いつか助けてくれると思っていました。

そんなある日の夜、担任から家に電話がありました。

私「○○です

担任「○○くんか?お母さんはいる?

私「いえ、今日は出かけていないです

担任「そうか、○○くんは忘れ物が多いから一言お母さんに言おうと思ったんだが、何時でもいいから先生に電話する様に言ってくれ

ガチャン・・・

こんな内容だったと思います。私は恐怖で震えました。「先生はわかってくれていない」って悟りました。この件は後日改めて担任から親に電話があり、私は親にひどく怒られます。

また、いじめを受ける中でズボンを降ろされたりパンツを脱がされたりと性的な暴力も振るわれていました。そんな時も担任は私を庇うでもなく、「そんなもん出すな恥ずかしい」の一言で片付けられていました。

いじめをしていた児童の1人が地元でも有名な力のある人の息子だったと言うのも影響があるんでしょうか?そちらは一切お咎めなしでした。

こうして担任にも見放され、小学校6年生の二学期から卒業まで誰も助けてくれないいじめにあっていました。小学校6年生の記憶は本当に辛い記憶しかありません。早く卒業したくて仕方なかった。

2度目のいじめ

小学校を卒業して中学校に入学します。小学校の頃のメンバーの数名は同じ中学校になりますが、クラス替えもあり環境は大きく変化します。もう、親のお金を絶対に取ったりしないと心に強く誓って中学生になったのを覚えています。

体が大きく精神的に幼い同級生

この時、体が大きく力が有り余っている、精神的に幼い中学生と同級生になったんです。体が大きく力もあるのですが幼くて暴力を抑える事ができない。すぐ周りの人に暴力を振るうようなタイプの学生でした。

最初の内は目立たないようにしていたのですが、席が近くなってからと言うもの毎日の様に暴力を振るわれる様になっていました。

小学校6年生の頃のいじめに比べると、お金を捲き上げれたりする訳ではなかったので精神的には楽でしたが、環境が変わってもまたこれか・・・と絶望を覚えたのは確かです。

中学校2年生のクラス替えで転機

中学校2年の時にクラス替えがあったんです。また、そのタイミングで暴力を振るっていた子が転校になりました。そのチャンスで色々と自分の行動も変化させる事で、中学2年生からいじめをうける事はなくなりました。

いじめられた理由

いじめられた理由を自己分析すると、人との付き合い方を知らなかった。間違っていたに尽きます。友達の作り方であったり、接し方であったり。

要求を断ると関係が崩れると思っていた

最初のいじめは、お金で友達を作ろうとしてしまった。その心の隙を突かれたのかなぁと思っています。そうやって作った人間関係です。要求を断ると関係が崩れると思い込んでいた事もあったと思います。そんなので友達を作っても本当の友達じゃないって理解できていなかったんですね。

徐々にエスカレートしていく要求を止める事が出来なくなり、彼らも集団になる事でどんどん凶暴になっていたんだろうと思います。

おどおどした対応

2度目のいじめも同じく、人との付き合い方を知らなかったのかなと思います。体が大きく暴力的な同級生に怖くておどおどしてしまった。暴力的なまともに付き合えない人と思い込み、最初からビクビクしていたんだと思います。しっかりと毅然とした態度で接していれば向こうも変わったでしょう。

何事も毅然とした態度をとる

これらの原因を中学2年生で変える事でいじめは無くなったんだと思っています。嫌なものは嫌、おどおどしないでしっかりとした対応で誰とも接する。これらを意識的に変えました。これらが、いじめを克服できた要因だと思っています。

いじめによる心の傷

こうしていじめを克服できた私ですが、心の傷は今でも残っています。

いじめられるんじゃないかと言う恐怖感

自分はいじめられっ子気質があって、人間関係の構築に失敗するとまたいじめられるんじゃないか?と言う強迫観念の様なものが常にあります。

特に初対面の人に対しては、「最初が肝心」と強いプレッシャーを感じてしまう時もあります。

新しい環境などでの最初の人間関係構築はプレッシャー以外のなにものでも無いです。失敗するといじめられると思ってしまいます。いい大人になってもそう思ってしまう。

いまだに消えない恨み

やはりいじめっ子に対しての恨みは今でも消えていないです。あの時あった辛さや苦しみは一生忘れようが無い。誰もだ楽しい思い出の様に語る卒業式までの一年間を、自分は地獄の中で過ごして早く終わってくれと思い続けていた。そんな無駄な時間にされた恨みや、親が汗水垂らして働いたお金を家から盗んでいった彼らに対しては一生掛かっても許す事は出来ないと思います。

また、自分がいじめに遭っているにも関わらず追い討ちをかける様にな事をした、あの担任に対しても一生恨み続けると思います。

いじめの問題

よく「いじめられる側にも問題がある」と言う様な意見が出てきます。確かにいじめられる側にも問題はあると思いますが、それによっていじめる側が正当化される事は決してありません。

いじめられる側にも問題がある=いじめて良い

こんなアホな式は存在しません。

いじめから35年近く経過したいまでもあの時の記憶は鮮烈に覚えています。本当に辛い記憶と共に、いまだにいじめた人間を許すことは出来ていません。

これほどまでに、心の中に深い傷を残すんです。自分はたまたまきっかけを掴んで自分で這い上がれました。これは本当に幸運だっただけです。これを糧に這い上がる事を、いじめられっ子全員に求めるは酷です。

いじめは周りの大人が早く気がついて対処しなければならない問題です。いじめっ子がどんなステータスのある家の子供でも、いじめっ子として対応されなければなりません。

いじめは本当に卑劣で卑怯な行為です。

ぜひ、皆さんの周り、特に自分のお子さんとはしっかり会話していじめたり、いじめられたりが内容に目を光らせて下さい。

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