持って生まれた先天性の才能ではなく、努力して身についた後天的な才能で活躍している人って世の中にいますよね。
こうやって継続的な努力をして成功した人は正直すごいと思います。
こういう人を見ると自分も頑張れば!って勇気付けられたりしてパワーもらえますよね。
しかし、世の中には「継続や努力なんてやるだけなんだから誰にでも出来るだろ」と努力や継続を押し付けてくる人がいます。先輩や上司だったり・・・パワハラまがいの強要であったり。
努力ハラスメントですよ。「どりょハラ」です。
継続や努力はすごく価値のある事
継続や努力というのはすごく価値のあるもの。これは誰もが当たり前のように感じている事ですよね。偉人や歴史上の人たちも継続や努力にまつわる名言を沢山残しています。
努力にまつわる名言
努力にまつわる名言です。努力をする事の重要性がわかります。
「天才とは努力する凡才のことである」
(アインシュタイン:物理学者)
「効率的に成果を出すには、成果のうち8割を生み出している2割の活動に努力を集中すること」
(パレートの法則)
「待っているだけの人達にも何かが起こるかもしれないが、それは努力した人達の残り物だけである」
(リンカーン:アメリカ合衆国第16代大統領)
継続にまつわる名言
継続にまつわる名言もまた良い言葉が多く残っています。
何かに挑戦したら確実に報われるのであれば、誰でも必ず挑戦するだろう。報われないかもしれないところで、同じ情熱、気力、モチベーションをもって継続しているのは非常に大変なことであり、私は、それこそが才能だと思っている。
羽生善治
継続と決意こそが、絶対的な力なのである
カルヴィン・クーリッジ
この他にもまだあります。
「物事を達成するのには継続する事が大切だ」とか「継続は力なり」などと言う言葉をよく聞く。努力は嘘をつかない。努力に勝る天才なし。
多くの言葉があります。
継続や努力は精神論じゃない
継続する力、努力って頑張るとかの類の問題じゃない。最近つくづく思うんです。
「やるだけなんだから誰でもできる」って言いますけど、それがシンドイです。
この決めたら「やるだけ」思考の人の「たったやるだけでしょ?」の圧が辛い。
やれる人はやれて、やれない人はやれない。
「精神論」じゃないとしたらその差はなんなのでしょうか?
その差はやる気
その差は「やる気」です。
おい〜!やる気って結局精神論じゃないかよ!!
と思う方ももう少しお付き合いください。
「やる気」と言っても「おめ〜やる気たりね〜んだよ〜あ〜!!?」ではありません。
やりたい!って気持ちのやる気です。同じやる気でも「やらなきゃいけない」のやる気ではなく、「やりたい!」と思うやる気なんです。
この「やりたい!」気持ちがあるかどうかなんだと思うんです。
この差が継続出来るか出来ないかの差になっていると言えます。
やりたい気持ちは押し付けられることじゃない
さて、この「やりたい」と思う気持ちの源泉はどこにあるんでしょうか?
確実に言えるのは人に押し付けられる事ではないと言う事。
自発的に沸き起こる気持ちです。
いわゆるモチベーションです。
何でやるのかを意識できているか
継続してやること、努力してやること。それをやったらどうなるのか?って想像できていますか?
そう!立てた目標をちゃんと強く思っていますか?
って普通の自己啓発系ならなります。
しかし・・・
その前に考える事があります。
その目標って本当にやりたい事?
見栄とか、自分の立場とか、なんか顔色伺ったり。
してません?
特に顔色伺い系。
誰かのために立てた目標。
上下関係がある中で下の人が「上の人のために立てた目標」は最悪な事になりかねません。
上の人はやって欲しいですもんね。
自分がやって欲しいだけなら言い難いところが、その人も同じやりたい事なので強く言えますよね。やれやれって。やるだけだろ?って言いやすい。
「どりょハラ」です。
いや、忖度による「もくハラ」ですよね。目標ハラスメント。
顔色を伺う目標はやめましょう
継続や努力のためにはモチベーションが必要です。
ちゃんと自分のやりたい事を目標にしましょ。
それが見つからない人は焦って目標を作らなくて良いです。
見つけましょう。自分のやりたい事。
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