今日、1月18日は「世界雪の日(World Snow Day)」だそうです。
皆さんは、「雪」と聞いて何を思い出しますか?
今の若い世代なら、スノーボードやインスタ映えする白銀の世界かもしれません。
あるいは、大人になった私達にとっては「電車の遅延」や「路面の凍結」といった、ちょっと面倒な現実かもしれませんね。
でも、僕の場合。
「雪」という単語を聞いた瞬間に脳裏に浮かぶのは、もっと個人的で、少し鼻の奥がツンとするような……昭和の終わりの記憶なんです。
今日は、そんな雪にまつわる「親父との思い出」を、少しだけ書き残しておこうと思います。
コーヒー片手に、少しだけお付き合いください。

そもそも「世界雪の日」って?
本題に入る前に、今日の主役である「世界雪の日」について、少しだけ触れておきましょう。
これは国際スキー連盟(FIS)が制定した記念日で、毎年1月の第3日曜日に設定されています。
その目的は非常にシンプル。
「子供たちに雪上の活動を探索し、楽しむ機会をもたらすこと」
世界中のスキー場やリゾートで、雪遊びやウインタースポーツのイベントが行われている日なんですね。
そして、ここがちょっとした小ネタなんですが――この記念日、実は2012年に始まった“わりと若い”イベントなんです。
「子供たちが純粋に雪を楽しむ日」。
そのコンセプトを聞いた時、僕の記憶は一気に数十年前に引き戻されました。

【うんちく】世界雪の日は「競技の日」じゃなくて、“雪の入口”を作る日
ここで、記事に関係するうんちくをひとつ差し込みます。
世界雪の日って、名前だけ聞くと「スキーやる人向けのイベント?」と思いがちなんですが、空気感はむしろ逆です。
FISが2012年に始めたこの日は、レースでも記録会でもなく、
“上手い人が輝く日”よりも、“雪を触ったことがない人が入ってくる日”として設計されています。
だから、対象もガチ勢よりファミリー寄り。
世界雪の日は「4〜14歳の子どもと家族」のための特別な日として紹介されることも多く、
実際に世界各地で、雪遊び・スキー/スノボ体験などのイベントが同時多発的に行われます。
さらに面白いのが、イベントの中身。
FISの紹介では、毎年1月の第3日曜日に世界で100件以上のイベントが組まれ、
場所によってはスキーやスノーボードへの“手軽なアクセス”、つまり体験のハードルを下げる工夫(無料・割引など)が用意される、とされています。
要するに、あの日は「強い子が勝つ日」じゃなくて、
「雪に触れてみた子が、次の冬も来たくなる日」。
この“入口を作る感じ”、なんだか昭和の段ボールソリと相性が良い気がするんですよね。
上手い下手じゃなくて、「滑った!」「転んだ!」「冷てぇ!」で全部成立する、あの世界。

関東平野の子供にとって、雪は「魔法」だった
僕が育ったのは関東の南側。
冬といえば、乾燥した冷たい風と、突き抜けるような青空が続く地域です。
雪が降ること自体が非常に珍しく、地面が白く積もるなんて言ったら、それこそ数年に一度あるかないかの「大イベント」でした。
だからこそ、雪の日の朝は特別だったんです。
布団の中で微睡んでいる時に聞こえる、母の少し弾んだ声。
「起きなさい、今日は雪だよ」
その一言は、どんな最新の目覚まし時計よりも強力でした。
冬の朝特有の、布団から出る時のあの「死ぬ気でエイッ!」と気合を入れる儀式すら不要。
パジャマのまま窓際へダッシュして、勢いよくカーテンを開ける。
すると、いつもは見慣れた殺風景なアスファルトや、近所の家の屋根が、一面真っ白に染まっている。
あの時の、胸が跳ねるような高揚感。
世界がたった数時間で別物に書き換えられたような、あの魔法。
学校が休みになるわけでもないのに、ただ「世界が白い」というだけで、自分がマリオのスター状態になったような無敵感がありました。

夜20時、親父と二人だけの秘密基地
そんな奇跡的に雪が積もった日、我が家にはある「鉄の掟」とも言えるルーティンがありました。
うちは自営業で工場を経営しており、父はいつも油まみれになって遅くまで働いていました。
遊んでもらった記憶はそれほど多くありません。
けれど、雪が積もった日だけは違いました。
夜の20時くらい、仕事から帰ってきた父が、作業着のまま僕を呼ぶんです。
「おい、行くぞ」
行き先は、近所の土手。
街灯も少なく、普段なら子供が近づかない真っ暗な場所です。
でもその日は、雪明かりで妙に青白く明るく感じる、不思議な異空間になっていました。
父の脇には、工場から持ってきた業務用の分厚い段ボール。
スーパーで貰えるようなヤワなやつじゃありません。部品を入れるための、木の板のように頑丈な段ボールです。
それを即席のソリにして、二人だけでひたすら滑るんです。
「よし、しっかり捕まってろよ!」
父のゴツゴツした手が背中を押し出す。
グンッ!と加速する段ボールソリ。
冷たい風が頬を切り裂く感覚。
視界の端を流れていく土手の枯れ草。
バランスを崩して転げ落ち、頭から雪まみれになった時の、あの冷たさと、二人で上げた白い息と笑い声。
時間にして30分程度だったと思います。
でも、普段は忙しくて背中しか見えない父を独占できるその時間は、子供心にどんなテーマパークよりも贅沢でした。
手袋をしていても指先の感覚はなくなり、靴の中も雪が入ってびしょびしょ。
「……そろそろ帰るか」
父のその声で現実に引き戻され、僕らは家に帰ります。

痛みすらも楽しかった、ストーブの前
帰宅すると、すぐに石油ストーブの前を陣取ります。
真っ赤になったかじかんだ手を、ストーブの熱にかざす。
すると、凍えて感覚がなかった指先に徐々に血が巡り始めて、ジンジンと猛烈に痒くなってくる。
「うわー、痛い痛い!痒い!」
「急に温めるからだ」
父が笑いながら、濡れた作業着を脱いでいく。
部屋に充満する灯油の匂いと、濡れた服が乾く匂い。
その「ジンジンする痛み」すらも、「冒険の証」のようで楽しかった記憶があります。
翌朝に残された「誇らしげな痕跡」
この話には、もう少しだけ続きがあります。
翌朝、登校班で学校へ行くとき、その土手の横を通るんです。
まだ誰も踏んでいない、朝日でキラキラ光る真っ白な雪原。
その中に、昨夜僕と父がつけたソリの跡だけが、二本のレールのようにくっきりと残っている。
それを見た同級生たちが騒ぎ出すわけです。
「すげー!見てあれ!誰かもうソリで遊んでる!」
「早起きだなー!誰だろうぜ?」
その驚きの声を聞きながら、僕は列の中で口元をマフラーに埋めて、心の中でニヤリとしていました。
(……へへっ、それ、俺と親父だぜ)
誰にも言わないけれど、自分だけが知っている秘密の痕跡。
それがなんだか、すごく誇らしかった。
まとめ:雪は記憶を呼び覚ますスイッチ
大人になった今でも、天気予報に雪だるまマークがつくと、少しワクワクしてしまう自分がいます。
頭では「明日の通勤電車、止まらないかな」「車のタイヤ、ノーマルだけど大丈夫か?」なんて現実的な心配をしているのに。
心のどこかで、あの日の土手の冷たい空気と、ストーブの温かさ、そして父の大きな背中を期待しているのかもしれません。
「今日は雪だよ」
もし今日、あなたの街で雪が降っていたら、少しだけ童心に帰ってみてはいかがでしょうか。
忙しい日常の雪かきや通勤の合間に、ふと空を見上げてみる。
そこには、忙しい日々の中で埋もれてしまった、大切な記憶が舞い降りてくるかもしれません。



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