埼玉県補選の投票率の低さを問題視している人をアドラー心理学的に考えてみた

アドラー心理学
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参議院埼玉県選出補欠選挙が埼玉県でありました。

上田清司氏(無所属)と立花孝志氏(NHKから国民を守る党)の2名が立候補し、上田清司氏が当選しました。

色々と政策等の話をする前に、その投票率の低さに世間がざわついています。

なんと投票率は驚きの20.81%!

時事ドットコム

低い!低すぎる!!

まぁ、Twitterではいろいろな意見が出ていますね。

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「投票」の行為を課題の分離で考えてみる

選挙の投票をアドラー心理学で言う、課題の分離で考えてみます。

課題の分離で考える事で「投票」そのものが誰の課題であるかを明らかに投票率を上げるアプローチがどこにあるのかを考察してみます。

課題の分離?

まず課題の分離とは何かを書いておきます。課題の分離とはアドラー心理学における非常に重要な考え方の一つになります。

誰の課題かどうかを考える時に「その結果を最終的に引き受ける人」をその人の課題と考えます。

そして、他人の課題には介入してはいけないと言うのがアドラー心理学の鉄則です。なぜなら他人の課題に介入する事、自分の課題に介入される事が対人関係のトラブルの原因であると考え、アドラー心理学では人の悩みは全て対人関係から生まれるとするためです。

課題の分離は非常にアドラー心理学にとって非常に重要な概念であると言えます。

投票とは誰の課題なのか!?

さてさて、選挙に行き投票する事。これは誰の課題になるのでしょうか?

先ほども書いた通り、誰の課題の見極め方として「最終的に結果を引き受ける人」で考えます。

選挙の結果、選出された議員が政治を行います。そこで決められる法律は自分達の生活に深く関与してくる訳です。要するに自分達で選出した議員が決めた社会と言う結果を引き受ける訳です。

と考えると、選挙権を持つ一人一人の課題であるという事が出来ます。

選挙に「行く」「行かない」の選択は、選挙権を持つ一人一人の課題である事がわかりました。

しかし・・・しかしです。議員が作る社会と言う結果で暮らすのは国民全員が引き受けるべき結果なんじゃないか?と疑問が沸き上がります。

「自分で選んだ議員」だけど、投票率が低い事で落選してしまった議員、もしくは当選してしまった議員がいる筈です。自分が意図した以外の議員が当選した世の中(結果)を引き受ける事になります。

しかし、他人の課題としての「投票に行く」に介入する事は出来ないとなると、「選挙に行け!行かないと懲らしめる」と言う訳にもいきません(アドラー心理学では賞罰を禁じています)。

選挙の意味を啓蒙する

選挙そのものは個人の課題であると、その課題に介入する事は他人の課題に介入する事になります。

ここで発想の転換が必要になります。選挙に連れていくのではなく、選挙に行ってもらう、すなわち「選挙に行こう!」と啓蒙する事は自己の課題となり得るという発想です。

Twitterなどに散見される「選挙に行かないヤツは意識低い」「選挙に行かなヤツは社会に関心が低い」などと罵るのではなく、「みんなで投票に行こう!」「しっかり自分の意見を投票しよう!」と事前の活動をしっかりとする。これが大切なんじゃないかと改めて思う訳です。

まだまだ、選挙についての意識が低いのはたしかです。一票一票の重みや意味合いなどを根気よく啓蒙していく必要があるでしょう。

それでも行かない人は「選挙に行かない決定をしている人」となる訳で、「行かないのは非国民だ」と言う訳ではないのかなと思います。

本事例においては「課題の分離」だけでは語りつくせるわけではありません。ただ、誰の課題なのか?だれがどの様な課題を持つのか?と考える起点になり得るのではないかと思います。

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