「極めよう」は人生にとって重要、格ゲーだって極めると人生変わる話

雑記
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突然ですが何かを「極めよう」と思った事はありますか?

今回は「極めよう」と思って行動する事の大切さを、実際の経験に基づいて書きたいと思います。

最後までお付き合いいただければ幸いです。

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どんな事でも「極めよう」として行動する事は貴重な経験になる

もし、これまで何かを「極めよう」と思った事が無い、もしくは思っても行動を起こした事が無ければ何でも良いので「極めよう」と心に決めて、実際に行動すべきです。

法律に触れる事や、公序良俗に反する事以外なら極めて貴重な経験をする事が出来ます。

私自身も、とあるゲームを「極めよう」と思い実際に行動した事があります。

この時の体験は実際に今でも私の様々な事で活かされています。

どんな風に極めて、極めた先で見たもの、そしてその体験が今どの様に活きているかをお話したいと思います。

私が極めようと思ったゲームはバーチャファイター2です。1994年にアーケードを席巻した格闘ゲームです。

この格闘ゲームはゲームセンターで対人対戦が出来て、知らない人と対戦が出来るのですが勝利すると気持ちが良く、負けると非常に悔しい思いをするんです。勝ちたい!と強く思ったのがきっかけです。

更に、この頃バーチャファイターの強いプレーヤーがゲーム誌などで活躍していたりして、自分も強くなったらああ言う場所に近づけるのだろうか?と思う様になり、「極めてみたい」と思う様になるのに時間はかからなかったですね。

毎日の様に地元のゲーセンに通い対戦を繰り返し、帰宅してからは毎晩遅くまで攻略本を読み漁り全キャラの技とモーションを頭に叩き入れてました。

その甲斐あってか半年後には40連勝以上をするなど、地元ではかなりの勝率になるくらいの腕前までいきました。当時はまだまだ極めたとは思っては無かったのですが、今振り返ると様々な環境の変化など起きて、「極めた」状態に近かったのだろうと思います。

ゲーセンで有名になるとどうなるか知りたくありませんか?

さて、非常に高い勝率(おそらく90%超)を収める様になるとゲーセン内でどんな事になるのでしょう。私が実際に体験した事をお話します。

ゲームキャラと自分をミックスした個性として覚えられる

まず、対戦相手に顔を覚えられます

そりゃ地元のゲーセンに毎日通っているなら顔も覚えられるだろうと思います。

個人としてというよりも、完全にゲームとキャラと私が一致した状態で記憶されています。

当時、私はサラと言う女性キャラを使っていたのですが、対戦後に向こう側から顔を出してお辞儀をされたりしました。

向こうは完全に私の事を知っているんですね。そのキャラを通して私自身を知っている。

私自身のリアルなパーソナルではなく、ゲームのキャラを介在して表現される「私」のパーソナルを記憶しているんですね。

これはかなり不思議な体験ですよ。

私と言う個性の表現媒体が私自身ではなく、ゲーム機の中にいるキャラクターが媒体になっている訳です。

ゲームキャラクターの表現力なんて同一キャラを使っている人に個性は無いんじゃないか?と思えるかもしれません。実際に動き自体はプログラミングされているパターンしかない訳ですし、誰が動かしても同じコマンドを入力すれば同じ表現でしかありませんよね。

でも、そこには「私が動かしているサラ」と言うキャラクターが個性としてある訳なんですね。非常に面白い経験です。

店員にも顔を覚えられる

次に店員にも顔を覚えられます。

ゲーセンの常連で店員と仲良くなるなんて言う事もあるとは思いますが、元来人見知りで知らない人と中々会話をする事が出来ない私がゲーセンの店員に声をかける事なんてできません。

それでも顔を覚えられます。勝ちすぎるからです。おそらくゲームがそれほど強くなければ、それほど印象が残る事もなく何となーく覚えろげに「常連だ」と認識される程度だったと思います。

しかし、ゲーセンの店員にはハッキリと顔を覚えられていました。

それは、次のエピソードで判明しました。

売上貢献をお願いされる

その日もいつものゲーセンでいつもの様にプレーをしていました。

すると突然、ゲーセンの店員から声をかけらました。

こんな事は初めてだったので驚きましたねぇ。

店員「昨日の影丸の人ですよね?」

そうなんです、前日はサラではなく、影丸と言う忍者キャラを使ってたんですね。

20連勝すると覆面が取れるギミックが実装されていて、それを確かめたく影丸を使ってました。

実際に30連勝くらいしてました。

私「あ、はい・・・」(え?なになに?)

その日も対戦で連勝を重ねてた訳ですが、突然話しかけられてビックリです。

3セットマッチだったんですが、相手に1セットも取らせないで連勝してました。

店員「あの、相手の方に1セット取らせてあげてもらえませんか?」

私「え?」

店員「ストレートだと勝てないって諦めちゃうんで、手加減して勝てるかもって思わせてもらえませんか?」

私「え??」

店員「お店の売上に関わるんでお願いします」

私「は、はぁ・・・」

こんな感じでした。

ゲーセン側からしたら、なんか勝てるかも知れない!って思わせて何度も挑戦させて売上を上げたいという事なんでしょう。

でも、これ私自身に得が無い・・・

まぁ、ここでも店員に「影丸の人」とキャラを通して記憶されているのが面白いですよねぇ。

ゲーセンにもホームとアウェイがある

さて、特定のゲーセンに入り浸っていると何となくゲーセンの雰囲気的なものが出来上がります。空気の様なホームの様な。

会話はしませんが、いつもの人達みたいなのもいたりして、それっぽく地元感があるんですよね。

で、面白いのが当時はゲーセンが隣接していたりしたんですね。なので徒歩数分の所に別のゲーセンがあったりする。

そこはまた別世界だったりするんです。普段は行かないんですけどね。まぁ、私自身も最初の頃に行っていたゲーセンがあったんですが、高校時代からの友人が近くのゲーセンの常連だったらしく、ある時期からそちらのゲーセンに行くようになったんですよ。なので近くのゲーセンの常連さんの顔は知っていました。その頃の私はまだまだ弱かったので、そのゲーセンではパッとしなかったんですけどね(笑)

まぁ、暫くして移籍したゲーセンで連勝出来る様になってくると、ちょっと面白い事が起き始めました。

近くのゲーセンの常連がチョイチョイ顔を出してくるようになったんです。

まぁ、私達も行きつけのゲーセンが臨時休業だったりすると、そちらのゲーセンに行くことはありました。しかし、その時は別のゲーセンもオープンしている。で、私の台に来て何戦すると帰っていく。なんとなく偵察しに来ている感じなんですよ。

で、それから暫くしてから、別のゲーセンでトップクラスだった常連が行きつけのゲーセンに乗り込んで来たんですよねぇ。

今思えば道場破りか、はたまたカチコミか。

何にしても「強いやつがいる」と噂レベルになっていた様です。

SNSどころかインターネットがまだまだ普及していない時代。口コミで流れたんでしょうね。まぁ、何と言うか返り討ちしましたが。

他のゲーセンに行ったときのアウェイ感は凄かったですよ。ピリピリしていて。最初の頃は、こちらの顔を知らないんで見向きもされないんですけど、いきなり連勝すると「誰だ?アイツ」みたいな感じで。遠巻きに見ていた常連が動き出して、それでも連勝すると対戦台の向こう側で常連が入れ違いで挑戦してくる。あの感じは結構ピリピリしますね。

凄い体験でした。

お金を掛けなくても1日中遊べる

ゲーセンのゲームって当たり前ですがお金を入れて遊ぶのですが、対戦格闘ゲームだと勝ち続ける限りお金がかからなくなるんですね。

これどういう事になるかと言うと、強ければ強いほどコストパフォーマンスが恐ろしいほど高くなるんです。

しかも、ずっと戦い続けるから上達もする。コストを掛けずにどんどん上達する。

成長曲線のカーブがえげつないんです。変な話12時間近くゲーセンにいて、ぶっ続けに遊んでも500円くらいしか消費していないんですね。

それくらいコストパフォーマンスが上がってしまうんです。

強者は更に強者になる仕組みがあります。極めれば極めるほど、色々なものが集まる様になり更に上昇していく事が出来ます。それが極めるという事なんだなぁと思いました。

極めた先にある景色を見る事が人生にとって貴重な経験となる

さぁ、どうでしたか。

ゲームを極める事でリアルでも色々な体験した事のない変化が起きます。

まず、目に映る景色が変わります。文字通り風景が変わりました。

確かに街並みやゲーセンの内装が変わる訳ではないのですが、それまで知らなかった世界が見えてきます。地元で名が知れる事で見える世界。ゲーセンにあるアウェイ感だったり、そう言った普段意識していない様な事。自分が群衆の一人ではなく、個性として認識される事。

普通であれば、親、兄弟、友人と言った、お互いに個性を認識しあえる人から個として認識されるのが普通なんですよね。それ以外は群でしかない。

それが、こちらは個として認識できない人、要するに知らない人から個性を認識される事。これは不思議で貴重な体験でしたね。この感覚が有名人の感覚なんでしょうね。

最後に挙げた「1日中遊べる」は非常に投資を意識する上で役立つ経験でしたね。

これはある事象に対して投資をする事でステージが上がると、投資効率が飛躍的に上がる経験です。世の中の原理原則に近い。初期投資はリスクが伴いますが、そこから軌道に乗るとレバレッジが効きすぎて尋常じゃない加速が働く。初期リスクさえ乗り切れば一気に行ってしまうんですね。

極めると言うのは、極める前にいた道の延長線上じゃないんです。段が上がると言うか。別の所にいきます。

確かに道は続いている。続いているのでいつそうなったかは分からない。

気が付くと全然違う風景の場所に来て、それは延長線では説明がつかない、想像できない景色になっている。

この事を経験できたのは私の人生において非常に大きな意味を持っています。

なので、極めようとする事に無駄な事はない。むしろどんな事でも極めようとしなければ高みに行けないと思う様になりましたし、それによって色々な経験をしてきました。仕事も遊びも本当にそれこそ様々な事です。

そうは言っても凡人の域を脱していない自分ですが、それでも心は非常に豊かさに満ちていると実感しています。

それもこれも「極める」事を経験できたからだと思います。

みなさんも是非とも「極める」を意識して実践してみてください。

どんな事でも世界が風景が変わります!

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